アンチドラマチックマン
僕はある時期から
"日常にドラマは不必要"という考え方を始めちゃいました。ドラマチック不必要論と言っても差し支えございません。そんな事は当たり前、と思われるかもしれませんが、僕に言わせればドラマに没入している人の多いこと多いこと。思い切っていうと、ドラマのせいで不幸になっている人だらけですわ。
一個人で業務ではなく100回もプロポーズした到底正気とは思えない経歴の方が道行くトラックに飛び出して
「自分は不死です。」と申告すると言う、曲がりなりにも脅迫めいたドラマが有りました。(観たことはない)
そんな人が仮に結婚出来たとして、真顔で日常生活を送れるわけがないじゃないですか。「なんか楽しいことないかな。輪ゴム飲んでよ。死なないんでしょ?」不自然さを感じないのはドラマ性のピークしか見せていないからですよ。
現実は違う。トラックに撥ねられて辛うじて最後のセリフとして伝えるならドラマ性は完結しますが、先の一件では矛盾してしまいますのでどの道ダメです。
「僕は死にました。」
感情の起伏があるようなイベントには早々に足を踏み入れない事です。
よかれとおもってやったことが悪く作用すること、その責任はだれも取ってくれないこと。往々にしてあります。面白がって介入した結果損するならザマァミロマイセルフでまだ納得できるのでしょうが。
マイナスの感情はもちろん、強すぎる嬉しさというのもまた劇薬です。人生は緩やかな上り坂が一番良いんです。
唯一許される強い感情は楽しさ。楽しさだけは常識の範囲内で、どんなに強くても損しないと思うんですよ。楽しい思いをしてる人はそれを分けようとしますし。
否定する人はいます。確かに。
でも人の楽しさを否定するような方はそもそも自分の人生に敗北していると考えます。嫉妬とは違うベクトルです。そいつの中にある精神汚染を勝手に燻らせているのだから助ける義理も○ソもない。勝手に溺れてしまえばよい。
笑いや楽しかったことだけで人生を満たせるようにしたいで候。
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平成31年4月23日(火)
収入¥0
-今月の目標まであと¥400,000-
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言っておきますが、面白いドラマは好きですよ。