+= 虚栄都市トーキョー
〜小言〜猫だって嫉妬したりとかそういうネガティブな気持ちになるんでしょうね。出産を終えた嫁と一緒に子供がウチに初めて来ましたが対面するやいなや「もうわたしにゃあ構ってくれないんでしょう?いいのいいの気にしないからお好きにやって。」と言わんばかりに隣の部屋の襖を開けて入り顔だけこちらにだして一言「ンナァーーーオ。」だなんて愛おしい。愛おしすぎる。猫と新生児の組み合わせとはなんだなんだ。暴力だ。ほとばしる魅力で音速を超えた衝撃波的暴力性破壊性その他 形容しきれない語彙の小宇宙。それを埋める一言「愛だね。」〜小言終わり〜
東京ディスりと言うわけでは決して無い。
どちらかと言うと
東京という都市の何が凄いかについて
述べてその後の処世術まで言及する。
何凄について結論から言えば
東京は「なんちゃって」が実体化したホログラム的なモノなのだ。
こんな都市日本以外であるんだろうか。
あんまりイメージが湧かないけども。。
それは。
田舎者の
「トーキョーに行けばビッグになれる。」
「ビッグとまでは行かずとも何かしらコトが起こる。」
から始まっている。
↓
「トーキョーにあるものは何だって何がしかの価値があるに違いない。というか無ければいけない。(ワザワザ出てきたし。)」
↓
本質として価値が然程高くないモノ(コト)にも
"トーキョーで注目されてるthings"ブランドが付く。
↓
高い価値で取引される。
(実績が生まれる。)
↓
トーキョーやっぱすげぇ。
こんな書き方すると
・やっぱディスってるじゃないか。
・世田谷で生き埋めにしてやるぞ
などと罵詈雑言東京パンチをされかねない。
違うのだ。全然違う。
少し違う引き出しを開けるが
ことマーケティング的観点から言えば
商品はパッケージから価値が始まる。
虚栄だろうがなんだろうが
トーキョーパッケージは誰がなんて言おうと価値があるのだ。
「虚栄なのか実態なのか」
アヤフヤになりそうだが矛盾はしてない。
キョエイという実物なのだ。
真空ではなく空気なのだ。
無ではなく透明度100%なのだ。
だから田舎でも東京でも
モノゴトの本質的価値自体は変わらないが
いざさぁさぁ価値をつけるぞ張った張ったとなると差が出るという話。
売り出すつもりがなければ
ワザワザ東京に出てくる必要はこれっぽっちも無い。
逆を言えば東京にいるのであれば
何かしらアクション起こしなさいよ。と。(勿体ない勿体ない。)
こんな拙文だって
トーキョーに触れて初めてお目にかかる。
僕が兎に角
東京で勉強すべきだと思うのはずばり
パッケージの作り方だ。
虚栄。ハリボテ。見せかけ。イカサマ。見掛け倒しの格好付け。実力不足の役者不足。
全くもって最高の教材だ。
改めて最近流行りだした何処其処で実際に体験してみると良い。
思った程良くなかったなと思うのであればそれがそれこそが至高。
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平成30年8月11日
収入¥0
-今月の目標まであと¥400,000-
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※大前提だから書いてはいませんが
これは僕の主観だべさ。